1960年の日本。今から40年前のわが国の自動車産業はどうであったろうか。台頭しつつあった“マイ・カー”時代への機運を
反影して、自動車産業界も次なるステップアップの時期を迎えようとしていた。
しかし当時の現状はといえばいすゞはまだヒルマンを生産していたし、日野ルノー、日産/オースティン・ケンブリッジ等外国車
のライセンス生産が幅をきかせて、そこに混ざっていた純粋な日本車としては、観音開きのトヨペット・クラウン、“柿の種”
の初代日産ブルーバード、はたまた初代のプリンス・スカイラインなど数えるほどが呱々の声をあげていたにすぎなかった。
なにしろ日本で最初の高速道路であった名神高速道路は未だ工事中の状態であったのだから・・・。
さてそのような時期、国内の自動車メーカーは自らのブランドのクルマをつくり出すことに懸命であった。次代を予見して
乗用車専門の藤沢工場の建設を進めつつあったいすゞ自動車にとっては尚、急務であったのである。
いすゞ・ベレット/ベレットGT−−その15年余にストリートはまさに時代の先端、“先進の物語”であった。
或いはいすゞ・ベレットは一般大衆には受け入れられるという点では大成功とはいえなかったかもしれない。
よりクルマを深く知った人々にこよなく愛され続けたということは、こと販売ということでは不幸な結果であったのかもしれない。
しかし今から40余年前にいすゞのデザイナー/エンジニアが、心血を注いで作り上げた稍有の小型車の採ったデザインがメカニズム
がポリシーがことごとく正しかったことは、40年を経った今日になって始めてすべての人々に通じわたったといえる。
時間を戻すことはできない。今はただベレット/ベレットGTをこよなく愛する人々と共にその“先進”の素晴らしさに深い
感銘を覚えるのみである。小さくきびきびと張りつめたボディに、一流のメカニズムを携え運転する者の肉体の一部になり
きったかのように走れた小さなGT−−それは今日も尚、我々が最も欲するタイプの真のスポーツカーではないだろうか。
ベレットの歩み