永遠に語り継がれる車〜ISUZU Bellett GEMINI
製造が中止されてから26年もの歳月を経た現在でも、根強いファンに支えられ続けている『いすゞ・Bellett』。
独特な雰囲気を醸し出すそのスタイルは、沢山のファンを魅了してきたことでしょう。
そこで当社ではこの『いすゞ・Bellett』を沢山の皆さんに知って戴き、『Bellett』の素晴らしさを共存できたらと考えて
この特集を企画致しました。
当時のカタログや記事等,貴重な資料・先日のミーティングの写真を織り交ぜてご紹介致しますので
内容充実な企画になっております。
尚、今回の特集で使用しているカタログ・記事等は、「ベレGクラブ」の大場さんが大切に集めていらした貴重な資料をお借りして作成しております。
いすゞベレット(社内開発記号−SX 以下SX)の開発がいよいよスタートした。
与えられた開発時期はわずか3年あまり。そのSXに求められたものは、それまでの常識を覆す
革新的乗用車技術の結晶であった。日本初の高速道路開通も目前。
本格的高速ツアラーに賭けたいすゞエンジニアたちの戦いが、いままさに始まったのだ。
いすゞ・ベレット(以下SX)の開発に際しては課題が2つあった。
ひとつは昭和36年末に完成が予定されていた藤沢工場でヒルマンの生産が終わったあともラインが空かないようにと
開発のタイムリミットがあったこと。もうひとつは早くも輸出を考えたクルマとすることであった。
開発にあたる2年前の昭和32年の秋いすゞ自動車・技術部次長は約2ヶ月間ヨーロッパに出張し、
ヨーロッパで開かれたモーターショーを視察している。この視察を元に企画案が昭和35年2月頃大網が決定した。
内容は次の通りである。
- 1000〜1500ccクラスとする
- ディーゼルエンジンも載せられること
- トラックのバリエーションがつくり易いようにフロントエンジン、リヤドライブとする
- 月産3000〜5000台ペース目標
- 価格は3年後の値下がりを見込んで他車並以下に設定する
- 左ハンドルをはじめ、各種応用型をあらかじめ見込んだ設計をする
しかし、トップが経営スケジュールの観点から決めたSXの発表時期は昭和38年の秋。
あと3年と少々しか残された時間はなく、更にいすゞ自動車としてはヒルマン・ベレルに次ぐ第3弾とはいえ全くの新開発車種である。
それだけにこの開発日程の厳しさはかなりのものだった。加えてその短期間内に国産車としてはほとんど例のない後輪独立懸架、
前ヒンジのボンネット、当時の主流であったコラムシフトの代わりにスポーティ感覚のフロアーシフトを採用するなど、
数多くの新機軸を盛り込もうとしていたのである。
こうして設計がスタートして1年後の昭和36年10月に1次試作車の製作が始まった。
また同時期に1次試作車と並行して生産車となるべき2次設計が開始されていた。
この頃、日本でもデザインの重要性がようやく認識されるようになり、
工業デザインあるいはインダストリアルという言葉がしばしば聞かれるようになった。
しかしどんなに優れたデザインでも、作りにくいものであってはならないことをベレルでの苦い体験から学んだデザイナー達は
SXのデザインにあたってまず、工場に迷惑のかからない生産性のいいものにすることを第1条件とした。
SXの基本的なスタイリング・コンセプトは当時の常識を破る新しいもので多くの乗用車デザインがボディ側面の上方3対7
ぐらいの高さにアクセントラインを置いていたのをひっくり返して、下の方に持っていったのもそのひとつの現れであろう。
卵型のイメージによる楕円曲面で構成されたボディ本体に視界の良いグリーンハウス(クルマを外から見て
、窓下線から上のガラス部分とルーフ、ピラーを含めた部分をいうデザイン用語)が乗り、センターピラーも傾斜をもたせ、
国産車として初のフラッシャーランプをつけるなど、多くのデザイン上の試みが盛り込まれた。
当時の常識だった未舗装のガタガタ道もこなせるが、それよりも高速ツーリングが快適にできるクルマにしたい。
そのためには、重心を下げ空気抵抗を減らし、操縦性・走行性を格段にいいものにしようとした設計側の意図を見事にカタチにしたのが
SXのデザインであった。
いずれにせよ、いすゞ・ベレットが日本の自動車デザイン史上のエポックメーキングなクルマであったことは間違いないところだ。